【第2京阪道路】
2011/08/03(Wed)
110718第2京阪道路01

京都から大阪を経由して和歌山方面へ走る。
従来なら京都南ICから乗り、名神豊中ICを出て阪神高速へ行くのだが。。。

今はその混雑する名神や阪神高速を通らずして、全て高速で和歌山まで行ける。
それだけでもストレスは激減だと思ったが、一度は走ってみたかった第二京浜道路。

見る限り、何とも爽快な道路だろう。道路幅も広く交通量も少ない。
上の画像は、京滋バイパスと十字に交わる久御山(くみやま)JCT手前を南向きに撮ったもの。

写真左の緑地帯を見たかった。。。それも大きな理由なのだ。

昭和初期までここは大きな巨椋池(おぐらいけ)だった所。
それを今は埋め立てて農地になっているのだが。。。その歴史を紐解くと、
平安京遷都までさかのぼる。

桓武天皇は三方を山に囲まれた地で、東山は青龍・西山は白虎・北山方向は玄武と捉えて、
中国の風水の考え方を取り入れ、攻められ難い地としたようだが、
私としては「でわ南はあけっぴろげやん」と。。。

桓武天皇は三方ではなく、四方に四神相応の神霊に護られた都としたことは知らずにいたのだ。
その京の南側に位置するのが、この広大な巨椋池(おぐらいけ)であり、
宇治川・桂川・木津川が合流した地点で、ここを「南に朱雀が宿る」とされて、それで四神となる。

だがそんな大きな池は今はないし、従来の国道1号線や鉄道3線は、この巨椋池(おぐらいけ)を避けて
走っていた。大山崎・そして淀の競馬場付近を通ることに集約されていた。
だからこの巨椋池(おぐらいけ)今は広大な農地を、一度たりとも見たことがなかった。

車は京都駅南側の上鳥羽口から間もなく、
第二京阪上から朱雀の居る巨椋池(おぐらいけ)を真南へ突き抜けていたのだ。

110718第2京阪道路02

ゆっくりとかつての巨椋池(おぐらいけ)をイメージしてみたかったが、車は止められない。
そうこうしているうちに巨椋池(おぐらいけ)の南側に位置する久御山(くみやま)JCTだ。

巨椋池(おぐらいけ)の北側に位置する中書島へも何度も行った。
そこには宿場の宿の形を残した古風な下宿があった。そこに親しい学生友達の下宿があった。
そしてその近くにあの寺子屋も。
当時「中書島ってなんで島なん?」とも思ったものだが、そして月桂冠や黄桜で有名な伏見もそのすぐ近く。

寺も神社も見当たらない今の朱雀の地だが、一度そんな空想の中を走って、いや、
三つの河の合流点である商業や交通の要所としての地を、
そしてかつての巨椋池(おぐらいけ)を描きながら、のんびり歩いてみたいと思った。
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【京の朝焼け】
2011/07/29(Fri)
110718ruolcともいき

画像は大学の研修施設「ともいき荘」から見た御苑の森と東の空。

京都市役所近くの2次会会場でしこたま呑んで、そそくさと23時門限の龍谷大学の研修所へ。
「もう限界、寝るしかない」
だが40代の後輩たちは。。。3次会へ。。。私としては「そんなん あったん?」だね^^

京都御苑(御所)西の下立ち売り通り近くの研修所だったが、とても綺麗で係りの人も親切。
入館に際し数珠も要らなければ、仏壇もない。
若い海外留学生が多くにぎやかだ。「良いね 国際交流館」と言った雰囲気。
とにかく水を大量に飲んで寝る。
その時点で思い出した。。。「なでしこ」

幸いにも、後輩の丹後さんから「その部屋は一人で寝ていいよ」との温かいお言葉。
なら寝れる、いつもの50肩も痛いので^^きっと朝4時に目覚めるだろう。そん事はすでに苦ではない。
苦を取り払い、目覚める。。。なんて、仏門の世界の入口か?
ただ煩悩は未だ・・・たっぷり^^;

そして起きましたよ、4時のオンタイム。

110718ruolcともいき

だが起きてもしばらくすると勝手に瞼が下りてくる。。。実視は50%?
不思議なもので2点目の同点ゴールはオンタイムだった。
だが、PKまでの余白時間が余計だった。。。熟睡

今改めて画像を見て見ると、テレビに映っている???
これはきっと・・・・朝のニュースかぁ?

待てよ、上の朝焼けは確か5時前。。。ふむふむ 時間からするときっとPK前だ^^
ただベランダまで出て、外の空気を吸って「相変わらず京都盆地は朝も暑い」と
目を覚ます為の外気吸入だったのだが。。。おそらくそれからまた 寝たんだろう^^

朝になって後輩達に、「3次会へ出て、なでしこをオンタイムで見たヤツ、居る?」と聞くと
「いえいえ すっかり寝てましたよ」。。。と

一人部屋が功を奏した。。。感謝です^^
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【龍谷ミュージアム 見聞】
2011/07/22(Fri)
龍谷ミュージアム03

今回の京都訪問は、龍谷大学オリエンテーリングサークルのOB会へ出席のためだったが、
私にとっては、訪問と言うより帰京と言って良いのかもしれない。

大学時代に観た祇園祭も35年来で、OB達との再会も35年ぶりの人達もいた。
そして今年開館した龍谷ミュージアム。
それはガンダーラ仏教美術との5年ぶりの再会でもあったのだ。

この龍谷ミュージアムの特筆すべきは、仏教総合博物館であり、その規模も
大学の博物館としての規模は最大クラスということらしい。

それに今回の特別展は「釈尊と親鸞」ということで、釈尊の起源(仏教の起源)から
親鸞までの時代毎の仏教の流れや、地域性の中の仏教のありようを紐解いているというのは、
私の願ってもないところであったからだ。

上の画像は博物館の裏手に車を止め、堀川通りに出る直前のもの。
龍谷は西本願寺の大学で、堀川通りの向こうにはその西本願寺(世界文化遺産文化財)がある。
だが画像に映っているのはほとんどが南隣のお寺で興正寺(こちらも浄土真宗)が写っている。
本願寺に慣れない方から見ると、「ここが西本願寺なんや」と思ってしまうだろう。
でも良く見ると、西本願寺敷地内の南東角に位置する飛雲閣(国宝)上部が見えている。
写真右端の書院造りの天守閣みたいな部分。
この飛雲閣は大学卒業時に、ゼミの教授の紹介で教授と共に見せてもらったことがあった。
(ただし書院の中までは入れない)

この辻を右へ曲がるとすぐに現われた・・・龍谷ミュージアム

龍谷ミュージアム04

小雨の中しっとりとした雰囲気が良く似合う。
もちろん鉄筋なのだが、格子風な木材のデザインにも優しさを感じます。
受け付けは地下1階みたいなのでこの↓エスカレーターで、下へ降りる。

龍谷ミュージアム05

階段でも良いのだが、やっぱりジジィ臭くなってきた。

龍谷ミュージアム06

まずはゆっくり中庭を覗く。。。ここは入場無料。(いわゆる解放区ですね)
自然の大きな石が配置されて、もし濡れていなければ腰かけるかも。。。
だが雨なのでそうはいかなかったが、親鸞さんとて
「どうぞごゆっくりお掛けになって石の温もりを自分の尻で感じて下さい。
石も人も全てが関わりあった無常の物質と縁起の中の生きものです。」
と、おっしゃるかどうかは、、、、わかりまへん。

龍谷ミュージアム07

そしてエントランスへ。。。石積みの響きと木の柔らかさ、あるいは岩の冷たさと木の温かさ、
「あなたのいろんな人生を多面的に感じて下さい」。。。そんな大げさなと思うかもしれないが、
でも良いですね、この広がりとガラスの透明感と自然な空間の広がり。

受け付けはまるで一流会社の受付並み。。。可愛い女性二人が丁寧に対応してくれた。

2階3階が展示室。
その流れとしては紀元前の釈尊(ゴータマ・シッダールタ、釈迦、如来、仏陀)を
しっかりと展示物を介して解説してくれている。
その中でのガンダーラ出土の展示出品数は全体の7割近くはあっただろうか。

展示順路はジャータカを元に構成されているように思えた。
少し残念なのは、本生譚(ジャータカという釈迦仏にまつわる前世・現世・来世の物語)とは。。
なんぞやと言うところから入って欲しい気もした。

出展品はいずれも歴史の過程でのものだから、その時代の人々の信心や興味や刺激的なものが
具現化されていて、それはそれで時代を映したものとして仕方がないかもしれない。

しかし私としてはおそらく、初めて見た方とは違って、とても馴染みあるものに出会えた感覚
があった。
第1章は、釈迦如来立像をはじめとした「釈迦の生涯」
仏陀になる前のインドの小さな国の王子時代から、出家して修行・悟りを得てゆくその流れ、
「托胎霊夢・占夢」「誕生」「潅水」「四門出遊」「出家決意・出城」「衣服交換」
「降魔成道」「梵天勧請・婚約」「初転法輪」「涅槃」舎利分配起塔」その他多数。
そのほとんどがガンダーラ出土。

第2章は、釈尊の教えとその継承」
「仏坐像」(ガンダーラ)「サンスクリット長阿含経」(ギルギット?)
「アショーカ王碑文拓本摩崖法勅」(シャーバーズ・ガリ)
それにストゥッコで作られた「仏塔部」「菩薩頭部」(ガンダーラ)その他多数。
(上のリンク先の画像は当ブログ内の画像です。龍谷ミュージアムの展示物の画像ではありません)

第3章は、「大乗仏教とガンダーラ・西域」
「妙法蓮華経」(敦煌写本)「ネパール梵本無量寿経榊本」(ネパール)
「ジャータカ浮彫・兎本生」(ガンダーラ)「ガンダーラ語碑文」(ガンダーラ)その他多数。

第4章は、浄土教の成立と展開
「無量寿経・巻上」(敦煌写本)「浄土三部経」(日本・江戸時代)「仏三尊像」(ガンダーラ)
「阿弥陀浄土図壁画」(敦煌莫高窟)他

西本願寺 御影堂

そして特別展示は、日本における仏教と親鸞へと繋がっていく。
第1章 仏教伝来と浄土教の広がり
第2章 親鸞の生涯と教え
第3章 教団の発展と真宗美術
第4章 受け継がれる親鸞の教え

「親鸞聖人座像」(神奈川・善福寺)「釈迦如来坐像」(奈良・五條市)
「阿弥陀三尊立像」(善光寺如来)「聖徳太子絵伝」(兵庫・鶴林寺)その他多数

いずれも会期によって、展示が異なります。
詳しい会期と展示は、龍谷ミュージアムのHPで確認願います。

そして、中国・新疆ウイグル自治区のトルファン郊外にあるベゼクリク石窟寺院の
失われた寺院壁画を、龍谷大学がデジタル技術を駆使して見事に復元。
そのかつて11世紀頃に造られたと思われる西ウイグル王国の石窟寺院壁画の復元の中を
圧倒的な威厳と言うか威光と言うかあるいは浄土と言ってもよい温かみと共に、
己自信が釈尊に包まれるかのように、ゆっくりと歩いてきました。

最後に3階にあるミュージアムシアターの超高精度の映像迫力で、見てきました。
『伝えゆくもの ~西本願寺の障壁画~』
『よみがえる幻の大回廊 ~ベゼクリク石窟~』

障壁画の中の虎の間の虎は、現在ではほとんどモノクロになっていますが、
それを復元させて、まるでシアタースクリーン自体が従来の迫力ある虎たちいっぱいになります。
シアターの音響と共に体感してみてください。

このシアターもぜひご覧いただきたいのですが、7月は24日までで、25日からは本願寺大法要の為
混乱を回避するとのことで上映されません。
しかし8月27日以降はまた復活します。上映日はHPにて確認願います。

私のええ加減な仏教感はともかく、このミュージアムのひとつのポリシーは、
「断片的ではなく重層的な仏教を体感して概観する」ことだと思います。
聖徳太子、空海、最澄、法然、親鸞、道元、栄西、日蓮。。。その他多くの僧たちが
日本の仏教にいかに関わってきたか、その時代背景や民衆の中の信心とは、
そして、今を生きるとは・・・
ミュージアムの今回の展示構成は、私の期待半ばと言うところであったかもしれないが、
安堵感と刺激とまどろみの中で出会えた、一期一会だったように思います。

すぐ上の画像は、シアターが終わってスクリーンが収納されると現われる展望窓からのもの。
西本願寺は大修復が終わったばかりの御影堂屋根というか屋根瓦です。
この瓦一つひとつが今の現実のものとすれば、もちろんミュージアムの中の
2000年も前の展示品もまた、今ある現実のものかと思います。

学芸員様、事務職員様、私の記載に相違やねつ造があればご指摘ください。
よろしくお願いいたします。

また、当ブログで紹介してあるガンダーラの記事との項目リンクも後ほどしたいと思います。
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【なが~い祇園祭】
2011/07/21(Thu)
110718gion02

山鉾も翌日にはこのように。。。これは月鉾のようだ。
この際にも、一人鉾の中部へ乗って金扇子をゆっくり扇ぎながら、
掛け声と言うか音頭と言うか、ゆったりとしたお囃子を詠いながら、高い鉾を横へ倒していた。

一見して祭りの後の優美な後片付け。。。だが祇園祭はまだまだ続いているようだった。

110718gion01

その同じ四条寺町には八坂神社の3基の御神輿の御旅所があった。
17日の夕刻から八坂神社を出て数百人のりりしい男達が、勇壮に練り歩く、
そんな神輿の神幸際も祇園祭の一部。
静かで優雅な宵山から山鉾巡行に比べて、この神輿には勢いも荒々しさもある。
四条御旅所に7日間留まり、24日に八坂神社へ戻っていく。

7/1から始まり 7/10の鉾建 そして宵々山・宵山・巡行・神輿、その他花傘巡行などいろいろ、
7月の京は31日の夏越祭まで続く。

各町の山鉾維持保存や人出の借り出しなど、私が大学時代からも大変なお祭り。
京都の各大学にも、それぞれの山鉾の引手のお手伝いもあったことを思い出す。

学生時代は花街の祇園にもとんとご縁がなかったが、今もそんな優雅なお遊びは出来ない。
ただそんな花街の発展も、祇園祭に一役も二役もかっているのも事実。

一昔前の山鉾から撒かれたちまきを。。。食べたくなった。

110717祇園12

祇園白川の流れ
喫茶えびなのおばあちゃんの裏を流れる白川ですが、おばあちゃんには会えませんでした。
また。。。お元気で
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【鴨川の鴨になりたい 京都祇園祭 山鉾巡行】
2011/07/19(Tue)
110717鴨川

とりあえずめっちゃ暑い。
そんな中、涼しげな鴨川で戯れる 鴨2羽。。。鴨もお祭り気分なんや。。。

110717河原町三条

羨ましくもそんな鴨を横目で見ながら、東山方面から三条大橋を渡って河原町三条へ。

三条大橋のたもとにあったかつてはとても美しい駅で、
京都らしい駅の京阪三条駅はすでに地下へお隠れに。
ちょっと残念というか・・・私としてはかなり淋しい。

河原町三条の巡行沿道にはこの程度の人波。。。だが時刻はすでに巡行スタートの9時を回っていた。

110717河原町薙刀鉾01

山鉾巡行のスタートは9時。。。私は巡行とは逆にいきなり四条には行かず、河原町三条から歩いた。
上の画像は先頭の「長刀鉾」が四条通りから河原町に出て、方向転換するところをズームで。。。

110717河原町長刀鉾03

そして「長刀鉾」向かって歩いて行く。。。が
画像に「長刀鉾」に乗っている稚児が少しは写っているけれど、もう路上は身動きが取れない。

110717河原町長刀鉾04

110717祇園祭

やはり擦れ違いの撮影チャンスは、あっという間に過ぎ去っていく。。。

110717四条函谷鉾01

このまま南下して、河原町四条へは もう人の壁で歩けない。。。シャツの下は汗だく。
高瀬川沿いの先斗町へ逃げた。そして四条通へ出ての一枚は 2つ目の山鉾の「函谷鉾」(かんこぼこ)

110717四条函谷鉾02

その後ろには3番手・4番手の鉾も見える。。。が、、、水辺の鴨が とても羨ましい

110717鴨川四条

今度は四条大橋から三条大橋方面を。。。夜はアベック(古い)でにぎわう河川敷だが 今は暑すぎる。

110717四条大橋

四条通りを祇園・東山方面へ。。。京都南座の存在が際立つ。だが入ったことはない。

110718八坂神社

そして 祇園を経て 八坂神社(祇園さん)・・・ここが祇園祭の社なのだ。

この日は大学の部活OB会へ出向いた京都だが、
35年ほど前は、この八坂神社の中を通って、円山公園の奥の中華料理店のコンパ会場へよく。。。
そんな中での思い出は、酔って帰り道、円山公園に私を投げ込んだやつがいた。。。こと。
若いって・・・いいね なんでもできた^^
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【龍谷ミュージアム】
2011/05/18(Wed)
龍谷ミュージアム01

今年4月にオープンしたミュージアム。
まだ見ていないので何とも言えない。
博物館って、なんの知識も期待もなく入ったとしたら、全くつまらない。
その空気や雰囲気に、なにを感じるかに尽きる。

だが今回は、あえて早い内に行ってみたいと思った。

龍谷との出会いは大学、次に歎異抄、そして2006年のガンダーラ

よくぞこんな不出来な私を拾ってくれたありがたい大学。
在学中にほんの少したまたま触れた難しい歎異抄の断片。
そして偶然にもお誘いを受けた2006年のガンダーラの旅。

在学中は全学部でインド仏教史が必須だった。
さすがぼんさんの大学、「うっとうしい」と思ったものだ。
だが、インド仏教史の教本は後になって改めて欲しいと思った本のひとつ。

仏教についてさほど興味はなかったのだが、
在学時代に何の拍子か「歎異抄」のはしくれに出会う。
難解な内容を少し平易に解説してくれたのだろうか?
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

倫理道徳という言葉が嫌いだった私に、よく覚えてはいないが、
「悩める心を全く違う逆の視点から見て、そして親鸞の説いた物事の真理とは。。。」
それは社会自体も人の心そのものも。。。逆転の発想と感じたのだろう。

倫理道徳とは人間社会を住みやすくするための方法。
だが宗教とは、その倫理道徳を守って生活した際、
「あなたは愉快ですか、それとも不愉快ですか」と問うものだと。
そして次第に不愉快になっていった私に、
「倫理道徳はあなたを不愉快にしているのだよ」
「ただ倫理道徳が悪いのではないよ、問題は君の資質なんだよ」

社会に出てからは流れに流されて今に至ってはいるが、
2006年のパキスタン・ガンダーラ訪問は、また私に仏門の世界をかじらせる。。。

「仏教の原点とはなんだ」
「仏教はどのようにしてインドから日本へ?」
「なぜインドから仏教が廃れて、ヒンドゥ・イスラムへ?」
「釈尊(仏陀)と親鸞、法然や空海・最澄とは何が違うのか」

龍谷ミュージアムの特徴として言われているのは、
「楽しく、わかりやすく」展示を体感する。
そして広く地域に根差して、この規模にして「広く一般に開放する」ことらしい。

龍谷ミュージアムの現在のテーマ。。。「アジアの仏教--仏教の誕生とその広がり」
そして開館記念として。。。たまたま「釈尊と親鸞」展 が開かれている。

7/17・18に出かけてみたいと思います。
誰か一緒に行きませんか?

龍谷ミュージアム02

私のガンダーラ旅行記は
ガンダーラウイークはこちらからどうぞ

龍谷ミュージアム拝観レポート(2011年7月18日)は こちらへ 
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【日出先照高山】
2010/11/21(Sun)
101111高山寺02

日出先照高山とは、高い山の頂きほど、日がまず照らすところ・・・という意味らしい。
京都栂ノ尾の高山寺・石水院。
確かに、その縁側(?)に差し込む霜月の朝陽はとても温かかった。

101111高山寺03

高山寺の中興の祖と云われる明恵上人の住居跡である「石水院」
国宝に指定され、入母屋作りでもあるのだが、山の斜面に位置するため
入ってみてもその全容が実感として湧いてこない。

101111高山寺01

高山寺の表参道を降りる。
歩きながら90歳を過ぎたお客様の一人の足が止まる。
地面を見て・・・ポツリとつぶやく・・・
「ここも一応手を加えているが、でも境内も参道も出来るだけ自然のままみたいだね」

そんなありのままの京を実感され囁いた言葉に、
このお方と明恵上人とがだぶって見えた。

戒と律を重んじ、樹の上で禅を組んだと言われる明恵上人だったようだが、
このお方はこのお方らしく、今日という一日を、今という瞬間を、
ご本人らしく、大切に感じられているかのようだった。
「今回で最後の京都訪問かもしれないが、こんな京を見れて・・・良かった」と。

米沢のこのお方へも 「よろしゅう おあがりやしとくれやす」と言葉を掛けてさしあげたい。
このお方のように歳をとりたいと思います。
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【京の秋】
2010/11/12(Fri)
101111嵯峨野01

竹林の多い嵯峨野だが、ここだけは少し田畑の風情が開けていて、
古い過去にタイムスリップした感覚さえある。
今はいろんな郷土店があちこちにできて、人力車が狭い道を。。。

35年ほど前に何度も訪れたものだが、今や新しい看板と古い当時のままの案内板が
入り混じっていて面白かった。

101111嵯峨野05

その案内板がこれ。
「二尊院・祇王寺」という板とその下の消えかかった文字の「常寂光寺」の板に覚えがある。
東海自然歩道も。。。あった。
1970年は公害真っ盛りの中での「東海自然歩道」は、嵯峨野の中に溶け込んでいたと思う。

新たな手書きの案内板にイヤミはない。
だが私には古い看板が、その中に残されていることが嬉しかった。
もちろん当時はトロッコもなかった。

101111嵯峨野02

ひなびた風情が過去のものとすれば、今はこんな竹林さえ何故か新しく見える。
でもこの光景が嵯峨野ですね。

101111嵯峨野03

落柿舎の周りに電柱も電線もない。
さりげなく咲いている秋桜は、落柿舎同様に秋の日に照らされて凛としている。
さてここで一句。。。とはいかなかったが、懐かしさと小春日和に。。。感謝
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夜の永観堂(京都)
2008/11/11(Tue)
081108永観堂02

先週の土曜日、かなり冷えてきた秋の日だったが、
偶然永観堂の夜間拝観が始まると聞いて、訪れてみた。
町はあちこちに赤や黄色の広葉樹が緑黄色そして真っ赤なモミジが配置されて
すでに秋の京は見ごたえがあった。
画像は永観堂は中門のライトアップ

081108永観堂09

この日は京都龍谷大学のサークルのOB会で、すっかりお客様気分で行ってみた。
幸いにもサークル顧問でもある先生と30数年ぶりで再会でき、77歳喜寿の祝いも兼ねて
私には古き良き時代へのタイムスリップでもあった。
京の町は変わっても、寺はいっこうに変わらない。
そんな寺を見ていると、タイムトリップと言ってもいいかもしれない。

081108永観堂01

広い境内をゆっくり歩いて放生池のまわりを一周する。
釈迦堂、阿弥陀堂なども拝観しながらしんしんと冷える秋の夜の寺参り。
初日ということもあって大勢の人が入っていたが、まるで大晦日から初詣の様相でもあった。

081108永観堂08

もみじの赤はまだ未熟気味であったが、スポットで撮ってみるとこんな感じ。
ただ実際に行って身を置いて、寺がかもし出す全体のたたずみの中で味わいたいものだね。

081108永観堂07

画像は 淡い朱の中の永観堂 鶴寿台
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