体験と知識
2006/01/31(Tue)


しなびたオヤジです。
なんか暗い事件が続きますね。
いずれも金にまつわる呆れたことばかり。
私とてお金は好きだが、それは行動の結果として
付いて回るものと考えたい。

ただその行動が果たして自分の本当の真意なのか
それとも、歪められた自分の陰の部分から起きるものか
少なくとも自分で、それを絶えず気付いていきたいと思う。

話は変わるが、30代の頃、車上狙いにあった事がある。
盗まれたものは車内に残してあった、室内オーディオ
その他が盗まれてしまった。
持ち出しが面倒なので、一晩車に積みっぱなしであった。
それを知った翌日の私は、「どうにかして犯人を・・・」
そんな悪あがきを、いろんな人の前でくどくどと喋っていた。

そんな時、ある男性から
男性「盗まれて良かったじゃない・・・」と
私 「なんで?私の大切なものだったのに・・・」
男性「なら、なぜそんな大切なもの、車に放っておいたの?」
  「あなたはそのステレオそれほど要らなかったんだよ」
  「泥棒はそれが欲しくて盗んだ」
  「きっと泥棒の方が君より盗んだもの、上手く使うからいいんじゃない」
  
男性「泥棒がそれを売っぱらって、お金にしたかも知れない」
  「でもあなたは、それを処理すること、大切に使うこともできなかった」
  「良かったじゃない」

男性とそんなやり取りをしていると、
なぜか今までの憂さが・・・晴れてしまった。

人は一人で生きていくにあらず、
しかし自分の真の意図に気付かないまま、
他人のせいにしたり、他人に悪態をつくほど、
醜いものはないと気付きたいものだ。

それらはいずれも自分の体験から身に付くもの。
そして、書物やネットやこのブログにおいても、
体験に基づいたものとして初めて、
知識となって表現もしたいものである。

ニュースの渦中にある人々も、それを取り上げるメディアも
そしてそれに見入る自分達も、今一度立ち止まって、
自分の真意に、陽の部分に、気付いて欲しいと願うばかりだ。
そう・・・幼い頃の自分に立ち戻って、
いいのかもしれない。
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順応能力
2006/01/26(Thu)
間もなく20万km

しなびたオヤジです。
ようやく暖かさが感じられるようになって来ました。
大寒波(-5度)や積雪を数日でも体験すると、
暖かい日差しと気温10度は心まで暖かくする。

人は変温動物ではないが、案外とその時の温度に合わせて
身体は調整するものだと感じる。
それは、自分の意思というより「環境順応能力」とでも
いうのだろうか。
それにしても、日差しのある10度がとても暖かいのだ。

さて、我が家の車(ステップワゴン)も走行19万kmを越えた。
車なんて、そこそこ走って、快適かつ人や荷物が運べれば
それで充分かと思っているのだが・・・
今の車を含めて過去3台は全て15万kmを越えて乗り換えている。

1台を長く乗る、そんな中で感じる体験は

強風追い風の時・・・・・滅茶苦茶スピードが出る
向かい風の時・・・・・・・踏み込んでもスピードに乗らない
オイル劣化の時・・・・・車はうるさく、パワーも出ない
オイルを換えた時・・・車もご機嫌だ
タイヤを替えた時・・・車高が高くなった
タイヤを替えた時・・・それまでよりコーナーの切れが良い
洗車のあと・・・・・・・・・こころなし、気分良く走る(笑)
気温の低い朝・・・・・・・機嫌が悪い
100km走ったあと・・・・終盤の高速走行は、とても滑らか(笑)
8名乗った時・・・・・・・ヘッドライトがハイビームに変わる
8名乗らなくても・・・料金所を出る際、タイヤが空転する
雪の上・・・・・・・・・・・・気元良く滑ってくれる

自分の身体の一部のように使っている車だが
一般市民には、たかだか40年程の歴史しかない。
人の走るスピードの3倍もの速さで、
人の体重の30倍もの重さで、街中を走る車に、
人は自分の「環境順応能力」を発揮しているのだろうか?

くれぐれも追い風の際は、気を付けたいと思うこの頃。
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海の見える部屋
2006/01/22(Sun)


しなびたオヤジです。
昨日南伊豆の新装オープンした宿へ行って来ました。
何でも新しいものは良いですねぇ・・・とも限りませんが
とにかくこのロケーションは素晴らしい。
穏やかな海を眺めながら、いいちこをチビチビと・・・^^

私はいろんな宿に泊まりますが、決して料金の高い宿が
良い宿とは限らない。
全てはその対価に見合った宿であるかどうかなのだ。

今はとにかく物が溢れ人々の要求も多様化している。
露天風呂一つとっても、屋根が無い方が良いと言う人。
あるいは雨や虫が嫌なので、多少囲いがある方が良いと言う人。
こと食事に関しては、十人十色といっても過言ではない。

そんな中で、人は安くて良いものを追求もする。
出費を抑えその対価に満足もするだろう。
そしてそんなチャンスをこの情報の中で、必死に探している。

私はそれよりも、自分に合った宿、自分の気に入った宿が
好きだ。
あの宿へ泊まってみたい・・・そんな目的を見出し、
それに向けてコツコツと計画を立てる。
もちろんそれは高かろうが安かろうが、
一歩ずつ近づける努力もする。
そう 一つの目標に向かって、夢に向かってね。

もし自分が所持している株価が、いきなり上がって、
ぼろ儲けしたとしたら・・・

旅の楽しみや、その中で得られた出会いは、
いかほどのものであるだろうかと・・・
やはり人として、少しずつ、地道な進歩の中で
いろんな寄り道もしながら、生きていたいとも思うのだ。
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身体で感じる子供
2006/01/10(Tue)

しなびたオヤジです。
この画像は一昨日撮ったもの。
ある親父に掛かった大きな魚を、その息子(小6)が網ですくう姿。
さて、一般の人から見ればどう映るのだろうか?

「こんな危ない所で、海へ落ちたら、どうするの?」
そんな言葉が頭をよぎる。
でも私にはこんな画像はそうそう撮れないかとも思うのだ。
それはこの親の「おまえに任せた」という意気込みもさることながら、
この子の姿勢が素晴らしいのだ。
脚はしっかりと岩に踏ん張らせ、長い網を差し出す息子。
海まで足りるかどうか解らない、でも無言の中で精一杯伸ばす。
魚は潮の中で一定ではなく揉まれ、逃げ惑う。
ここは湖ではないのだ。
このあと結局、あと少しのところで網は届かなかった。

息子はきっと、ここではこの網では足りないということも、
こんな足場の高いところでも、長い網を何とか差し出せたという実感。
それらは必ず彼の身体の中で、感覚として蓄積されている。
その彼の感覚が次のチャレンジの一つの布石となっていく。

網を差し出すばかりではなく、自分より力のある魚と
遭遇することもあるのだ。
それが海の釣り、それが男の釣りなのかもしれない。
すべは自分で成し遂げる。全ては身体が覚えている。
普段はとても大人しく、言葉少ない小6の少年であっても、
大切なのは子供の頃に養われる、自然の中での身体の感覚なのだ。

もちろんこの日、彼は親父よりパワフルの魚を釣った。
そう、それは「釣れた」ではなく、もうすでに彼は
「自分で釣った」と言っても過言ではないはずだ。
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雲上の空間
2006/01/02(Mon)


しなびたオヤジです。
明けまして おめでとうございます・・・
そんな言葉が私の子供の頃の疑問であった。
1日が過ぎただけで、なにがめでたいの?
それがどうしても不思議なことであったのだ。

大晦日に親から叱られても、その翌日元旦には
にこやかな顔でお年玉を与えてくれる親。

それは日本古来の風習であると言ってしまえば
そうなのだが、子供にしてみれば不思議なこと。
いや、日々の連続である子供の心には
きっと馴染まない事であったのだろう。

日本で生きている限り、正月は正月で良い。
それは旧年との区切りをつけ、後ろ髪をひかれることなく、
新たな年の始まりに、自分なりのスタートを切ると言う
ことでもあるのだと思う。

ある意味そんな1日の違いの中に、日本のいさぎよさが
見えてきてもおかしくはない。

ただ、大晦日も正月も関係なく開いているコンビニやスーパー。
それは自分の頭の中に、コンビニは24時間が当たり前と
インプットされたままになってはいないだろうか・・・

あるコンビニが、深夜営業から撤退する。
その背景になにがあるかは知らないが、
現実に光熱費と人件費が無駄であるならやめれば良い事だ。

それより、なければないで、いかに自分が対処するかの
問題であって、夜開いていないコンビニが悪い、というのは
本末転倒なこと。

便利になり、24時間人が動くこの世の中で、しばらくは
この東京の正月の空のように、よどんだ大気ではなく、
きれいな空であって欲しいと願い、
静かな夜でいて欲しいと思うのは、私だけではないはず。

闇雲に体裁を求めて、他店に追随することなく、
また消費者のご都合主義の利便性を保護するでもなく、
深夜営業廃止は、それは一つのいさぎよさではないだろうか。
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