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ガンダーラ(パキスタン)というところ
2006/06/30(Fri)
タキシラPTDCレストラン庭にて 一服


10日間のガンダーラの旅を振り返ってみると、この国のこの地の人々の純情さも素朴さがよくわかる。
イスラムの中での禁酒も、男の世界であることも、そしてまだまだ基幹産業というものもない中で、人力による経済社会が続いていることも、何か昔のままと言えば昔のままなのだ。
現在はイスラムの世界でありながら、歴史を紐解くと、様々な文化の交流もその時代の空気も、この国の人々はしっかり受け止めてきたのだなぁと・・・
今や南アジアの中でも少し取り残されている国ではあるが、私は逆にそれを「未だに取り残された素朴な国」と表現してもいいだろうとも思った。

だがかつてのインド仏教が、この地に偶像崇拝として根付き、そして数々の繊細で優美な仏教仏像美術を開花させ、紀元後5世紀頃までに壮大な仏教文化を築いた事は、この目で確かに見て来たのだ。
そしてそんな仏教文化が、いつの間にかイスラムの世界へ変化していくことも、ある意味ではこの国の人々の純朴さが影響しているのかもしれない。

いろんな捉え方をされている仏教とは思うが、私にとってはそれはあくまでも、個の心の中に息づくものだと感じている。例え仏陀が、釈尊が絶対であり崇拝される人物であったとしても、釈尊の心の静寂さを、また彼の欲望の何たるかを、いかに自分の心に置き換えてみるかのことであると・・・・
それはあくまでも個々の心の問題であり、個々の悩みの問題であるべきで、誰に頼るものではないことであること。故に崇拝を基幹とする宗教ではなく、どんな悪人にも善人にも通用する教えであったのだと感じている。

ガンダーラにおいて、仏教の隆盛期にこの時代の人々はこの時代に生きたのであって、その時代の趨勢の中で、様々な解釈があったのかもしれない。ただ私はその時代において仏教は、やはり特定の身分階層の中のみならず、庶民にも親しまれた宗教であったのだと思っている。
言い方を変えれば、とても平等な思想の中での個の問題として捉えられている宗教であり、それだけに潰されやすい考え方だったのかもしれないと。

ヒンズーとイスラムの政治的抗争の狭間で、仏教はいとも簡単に利用されやすい、全てに平等な宗教であったのだろうとも思うのだ。それは全ては個に始まり、そして個に終わる、そんな宗教であって、葬式仏教といわれる日本においても、今改めて見直され、人の本質を個の問題として捉えている唯一の思想であるのかもしれない。

★★ ガンダーラ ウィーク スケジュール ★★
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ラホールという都会
2006/06/19(Mon)
ラホールの夜

しなびたオヤジです
ラホールはガンダーラ地方には含まれないが、
首都であるイスラマバードと同じパンジャーブ州にあり
インドにも近い大都市で、この州の州都でもある。

なぜ大都会かと言うと、街の有り様はラワルピンディーなんかと
それほど変わらないのかもしれない。
ただ、女性の華やかさがなぜか私の目に、際立って華やかに
映ってしまったからだ。もちろん顔も隠さない女性の数も多いのだ。

ラホール宮殿の日曜

ラホール宮殿あるいはラホール城とも言うが、今は入場料を払えば
誰でも入場できる、かつてのお城。その壁面も細かい宝石を
散りばめた装飾を施し、それは広大で優雅なお城である。
ただ今は宝石は見あたらない・・・

ラホール宮殿とラホールの街

そんなラホールの高台に立つラホール城も、ラホールの街も、
整然と区画整理された首都イスラマバードの町並みとは異なり、
いろんな人々の活気さえも感じられる街なのだ。

パール コンチネンタル ラホール(新館)

ラホールで1泊したのはパール コンチネンタル ラホール(Pearl Continental Lahore)
ラホールの中ではトップクラスのホテルであるが、
この日も婚礼が行われていた。
ただパキスタン内では、派手な婚礼は慎むようにとの、
おふれもあるらしいのだが・・・・

パール コンチネンタル ラホールでの夕食

夕食と言っても、この画像はデザートコーナーです。
やはりこれだけの豪華なデザートが揃うと、男も別腹でしょうか^^

パール コンチネンタル ラホール(旧館)


★★ ガンダーラ ウィーク スケジュール ★★
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ラホール博物館(Lahore Museum)
2006/06/16(Fri)
060430ラホール美術館「苦行仏」

しばらく記事の間があいてしまった。
ガンダーラの旅もそろそろ終焉へと近づいているのだが、
最後の博物館がラホール博物館であり、ガンダーラ美術の観点からも、最も貴重で優美な作品も多い。
それはイギリス統治時代に発掘された秀作の数々を、
イギリス側がここへ集めたと言っても良いのだろう。
その最たるものがこの「苦行仏」であると言われている。
シッダールタは出家を決意し、ただ一人その真理を突き詰めるべく、
僧であるべき事を全て修行してきたのだが・・・・

060430ラホール美術館「苦行仏」


彼は断食という苦行の中で何を見出したのか・・・
世の無常であり、人は必ず老い、そして死に向かって進んでいるものであると。
だがこの断食の中で、彼の思いは
「まだ死にたくはない、悟りを得るまでは、死ねない」という欲であったのかもしれない。
老いること、死を迎えることへの恐怖は無くとも、
彼にはまだ、生きていたいという執着があった。
それは後の「煩悩」と言えるだろうが、欲がある限り、
執着がある限り、悟りは得られないと自己の中で気付いていったであろう。
そんな気付きを得られただけでも苦行の意味はあったとしても、
仏陀になるには苦行が全てではなかったし、
自己を痛めつけること自体意味の無いことを知った。
より大切なのは、落ち着いた心静かな状態であること、
それを苦行の中で知る結果となる。

だがこの作品・仏像自体、その繊細さと優美な曲線は、
なんとも言えない、哀愁とも慈愛とも受け取れる深さを感じられるのは、
私だけではないであろう。

060430ラホール博物館「魔物」

瞑想の中でシッダールタに襲い掛かる魔物の数々・・・
上の作品はそのおどろおどろしい魔物を具現化したものであろう。

シッダールタは、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、
鼻で感じるもの、舌で感じるもの、身体で感じるもの、
意識で感じるもの、すべてが永遠のものではないと考える。
であるから、それに執着しても意味の無いこと。
たとえば、手に入れたと思っても、それはやがて手の中から消え行くであろう。
あるいは、自分が先に消えるであろうと。
つまり、手に入れたと思っても、それは一時的に手の中にある、
というだけのことなのだ・・・と。
ところが、人はその一時的に手にあるモノに執着をする。
だがすべては、やがて滅んでしまうものなのだから、
そのものに本質的実体は無いといってよい。
つまりは、すべては仮の姿なのだ。
この私も私が感じるすべてのものも、仮の姿に過ぎないのだと。
人は、そうした実体の無いものに執着している。
手に入れたい、手放したくない、関りあいたい、関りあいたくない、
自由にしたい、思うようにしたい、と欲求を起こしているのだ。
だから悩むのだ。苦しむのだ。迷うのだ・・・・

そんな中で彼は自分の中のいろんな悪魔とも出会う。
そして彼らはシッダールタを幾度と無く脅かすのだ。
だがシッダールタは、そんな悪魔も何の根拠も無い、
執着すべきものでもないことを知る。
そう、落ち着いた心静かな状態で、自分の心に気付くこと・・・・

ラホール博物館01(Lahore Museum)



ラホール博物館05(Lahore Museum)



ラホール博物館06(Lahore Museum)

金で包まれた仏陀像・・・・仏陀は当時、様々な神以上の存在であった。そして当時の人々は、そんな仏陀の心静かな有り様を思い浮かべながら、自己の中にある迷いを、次第におさめていったのかもしれない。

ラホール博物館28

ラホール博物館27

ラホール博物館26

ラホール博物館25

ラホール博物館24

ラホール博物館23

ラホール博物館22

★★ ガンダーラ ウィーク スケジュール ★★
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スワット博物館(Swat Museum)とブトカラⅠと磨崖仏
2006/06/05(Mon)
スワット博物館(Swat Museum


Swat博物館 03


Swat博物館 04


Swat博物館 05

今回のガンダーラウィークでは、5箇所の博物館を巡った。
ブログではすでにタキシラ博物館とペシャワール博物館を記事としたが、今回はあのスワット渓谷の近くサイドシャリフにあるスワット博物館(Swat Museum)。ここも趣のある博物館である。

ただ仏像を彫り作るのではなく、釈迦の生い立ちや、その前世物語(ジャータカ)の様々な場面を形どった物が多い。
左上の画像は良く理解していないが、右上の画像は、一国の王子であったシッダールタが、その王様の意に反して出家する事を決意し、厳重な城の警備をかいくぐって城を出るところ。
その門番はチャンダカといい、シッダールタはそのチャンダカにカンタカという白い馬を用意させる。
城内でも悩み続け、人間の老い苦しみや劣悪階級の生活を垣間見て、一人瞑想するシッダールタには、城を捨て家族を捨て、その悩みを見極める為の出家であったのだろう。

このスワット地区にも、ブトカラⅠなど数多くの仏教遺跡がある。
下の画像はブトカラ遺跡です。
060426btkr11


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ストゥーパ(仏塔)を中心とする僧院のみならず、シャコーライの磨崖仏なども、おそらく年代的にはかなり古いと思われるのだが・・・まさに崖に彫られた巨大な仏陀である。

下の画像は、磨崖仏まで徒歩で登れたのだが、根性のない私はnn氏の望遠鏡越しに・・・パチリ
この仏陀の大きさは、優に縦横5mはあるのだ。
シャコーライの磨崖仏


★★ ガンダーラ ウィーク スケジュール ★★
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べシャワール博物館(Peshawar Museum)
2006/06/02(Fri)
仏陀立像(ペシャワール博物館) ガンダーラの中でも仏教・仏像美術の宝庫とも言われているペシャワール博物館(Peshawar Museum)。
国立ではなく州立なのだが、今までも言って来たように、かつての東西文化の要所でありガンダーラの中心地であったペシャワールにある。建造開始から今年でちょうど100周年を迎える。

ガンダーラが影響を受けた歴史と言えば
ペルシャ帝国(中央アジア紀元前6世紀~4世紀)
アレキサンドロス帝国(紀元前4世紀前半)
マウリヤ朝(紀元前4世紀後半~紀元前2世紀)
バクトリア朝(中央アジア、紀元前3世紀~紀元前2世紀)
そして、仏教・仏像美術最盛期のクシャーナ朝(1世紀~3世紀後半)

ここにある出土品は、このペシャワール近郊の遺跡からのものが多く、前述したタフティ・バイからの物も多い。
やはりそれらの多くは、クシャーナ朝時代が盛隆期で、1世紀~5世紀の美術品がほとんどである。

上の画像は、仏陀になる前の菩薩像かもしれないが、この仏像スタイルは、クシャーナ朝時代のカニシカコインと言われる仏像や神々を描いたコインにも描かれているようだ。
それは様々な民族やシルクロード交易に必要なものであったのだが、それは他民族の人々が、それぞれが崇めるものであったのかもしれない。
仏像の手の位置が歴史を物語っている。

ピッパラ樹の下でのシッダールタの瞑想(ペシャワール博物館)

まだ身体に装飾を施した菩薩として彫られたものであろう。だがこの後、彼は深い瞑想の末に、己の中に潜む悪魔達をも克服して、曼荼羅の世界、宇宙そのものを己の中に見出し、真理とは自己の中にこそあるものであると、悟りを開いていったと言われている。それは仏陀そのものであったのだ。

仏陀の生涯を形どったアーチパネル(ペシャワール博物館)

生涯と言っても、シッダールタの生涯ではなく、悟りを開いた後、仏陀になってからの様子を描いている。上から教えを説いている姿、暗殺者と仏陀、そして涅槃に入った姿を描いている。(タフテ・バイ遺跡より出土)

レリック(遺骨・遺品箱)(ぺシャワール博物館)Relic Casket
涅槃に入った仏陀の遺骨は弟子たち8人に分けられたという。ただそれはこのレリックが作られた頃から数百年も前の前の話。しかし、当時の人々は、この中に崇高な思いを込めて、何を入れて信心を深めたのだろうか・・・

ペシャワール博物館メインホール


ペシャワール博物館の他の画像20枚は下記の「続き」でご覧下さい

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