2008/07/13(Sun)
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珍しく磯ではなく、浜に降りてみた。
磯のほんの近くの浜なのだが、ここに立つのは何年ぶりだろう?

まだ朝の7時前、それに今日は夏本番を思わせる晴天。
運良く夏休み前の週末と言うこともあって、こんな真夏の浜を独り占め、と言う感がある。
こんな穏やかな海でも、時としてがらりと様相は豹変することもある。

泳ぎたかったのだが、水着を忘れた。
水着がなければ何でもいいのけど、海水がまだ冷たい・・・・^^;
しばらく海水をタオルに含ませ、上半身にしみこませるように、
身体を海水で拭きながら トボトボと歩いてみる。

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どこから流れ着くのかゴロゴロとした石。
でもこの砂さえ石の一部なのだが、でも自然の力は永い年月の中で石を丸くする。
丸いだけではないが、少なくとも角は取れている。

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一枚目の好ロケーションといった画像とは違って、
上の画像は何のヘンテツもない石と砂と海水を撮ったつもり。
ん?でも少し面白い。この部分だけでも絵になるやん!と
ホントはもっと波による砂の流れを撮りたかったのだが・・・
絵にならない 自分の絵(笑)

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そして自分が立った位置から、お気に入りのスポットを探す。
するとすぐ後ろにあった(笑)
すぐ近くにあるのに、解らなかったのがまたおもろい^^
逆光だからと諦めずに、しばらく見ていると・・・
この波と言うか海水が作る、朝陽に輝いた文様が美しい。



海水が雨を作り、雨が河を作り、河が石を押し流す。
そしてまた海で揉まれて、砂になる。
みんな自然の役割があって、回り巡っている・・・
「ああ・・無常」 そんな言葉がピッタリだ。
そこには誰の意思も入っていなくて、全ての生成変化消滅は
否応なしにやってくる。

こんな砂浜でもフナムシの子供がいっぱいいた。
なんか一部の砂の中を、かたまって何かを捕食しているように見えた。
だってほとんどのフナムシは私が歩くと逃げるのに、
5匹が5枚の菊の花のように、砂の上で頭を付き合わせて、
その砂の一点を5匹がむさぼっている感じで、近づいても逃げようとはしない^^
それどころか、他の一匹が割り込んで入ってきて6匹になった。
私が幼年期の頃なら・・・6匹を踏み潰していたかも・・・^^;

ちょっとした道草だったかもしれんが、歳をとるほどに道草しなくなるなぁ・・・・
一つのバターンしか 動かなくなるなぁ・・・と、つくづく思った(笑)
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ライアル・ワトソン
2008/07/06(Sun)
風と海は
地球という惑星の血液循環と神経であり、
エネルギーと情報の分配を司って
無から有をなしている 

生命が開花したのは「35億年前の海」である。
その時、海の塩分は1%しかなかった。
やがて海は少し塩辛くなったが、
私たちの体の中はまだ1%のままである。
私たちの体の中には、
「古代の海」が永遠に生きている

私たちは「目」で物を見ているのではない。
「脳」で見ているのである。
「心の目」といってもいいだろう。
「音」もやはり「耳」で聴いているとはいえない。
「脳」で聴いている

人間はみな地球の周期やリズムを愛する
「自然の申し子」である。
忙しすぎる脳を少し休ませて、
「心の鼓動」に耳を傾けねばならない

私たちは決して「特別な存在」ではない。
心優しい浜辺に放り出されて根を張っている、
「種」の一つに過ぎない
       (動物学者 ライアル・ワトソン著)
       (2008.07.05 j-wave 土曜深夜 VOICEより)


原点とも言える彼の言葉だと思うな。
そんな地球という自然の中で、釣りをするのも、また頭ではなく
感覚だよね。そんな釣りを心がけたいと思った。

それに、ここには世間体がない。
仏門も、「そんな俗世間から出てこないか?」と呼びかけているのだとも思う。
「世間体こそが 人の最も大きな 煩悩だ・・・」と言っているようでね。

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