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【磯釣りと哲学】
2012/04/27(Fri)
120424南伊豆磯釣り02_800

この日はフグばかりだった。二人でハリの交換は20回以上はあっただろう。

「フグばかりで うんざり」という言葉も聞こえるが、
フグを避ける方法も試してみるべき。
(オキアミを小さく着けて、撒き餌のオキアミも小さくする。フグに食べられる確率の問題。)
あるいはフグに鈎を飲み込まれずに釣る方法も。
(目いっぱい大きな鈎にする。当然飲み込まれにくくなる。)

人はすべからく自分勝手だ。
「釣りに来ているのに フグはいやだ」と
「たまにしか来ないのに なんでこんな日に」と

しかし魚の気持ちになれば、それらは全て人間の勝手。
彼ら魚はとことん自然のままで生きているだけ。

釣りに行くなら、「フグでもいいじゃない」
「フグを釣る、フグを避ける方法を、人は考えるものだ」

考えて、体験して、身体に覚え込ませて、インスピレーションやバリエーションを増やす。

でも自然界の魚とて、しっかり保身の技を心得ている。(あえて心なのだ)
そして魚と人との駆け引きの中で、魚が危険をおかすまで辛抱強くねばれるか。。。

「思考」と「言葉」と「行為」を使って釣りをしたいものだ。

言葉は、魚達に語りかける。「そろそろ食ってもいいぞ」とか、
行為は自分の枠を取っ払う行為に挑戦する。「こんなじゃだめだ、と思わず違う事をする。」
思考はインスピレーションを大切にする。「でもそれには、今までの考え方を外してみる」かもね。

きっと釣れない釣りは、ひょっとしたらランナーズハイになれる。。。とも思ってしまう。
ただし、めげずにチャレンジをあきらめないこと。

120424南伊豆磯釣り01_800

この日の私達の釣果はこちら
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【危険とは】
2012/04/23(Mon)
120414南伊豆磯釣り06

危険は、想定外という言葉で、ごまかさないことかも。

絶えず身の回りに付きまとっているもの。

この画像。。。ある意味危険です。

もし地震が起きたら、「ポキッと折れそうな場所」に3人。

でもそれにあらかじめ気づいていれば。。。「やっぱり落ちたなぁ」だね。

そして岸まで何とか腕だけで泳いで、高いところへ逃げる。

なぜか いい画像だよね。

(この日の私達の釣果はこちらへ)
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【磯釣りで哲学】
2012/04/15(Sun)
120414南伊豆磯釣り01_450

2台を1台の車に集約して、3人の会話は弾む、、、伊集院静と小島慶子の話題はともかく、
この夫婦は全てに、あけっぴろげなのだ。

全てに なのか 全てが なのかは微妙。

だが、話をしていて、私と話がよく合う。というか話が通じる。
それは世代間の格差もなく、本音も建前も少なく、互いの話も聞けば話しもするのだ。

磯釣り教室なのに。。。なぜか磯釣りの話はほとんどなし。
それは向上心がないのか、磯釣りに集中したくないのかはわからない。
いや磯釣りへの興味は人一倍ある・・・というのが正解。

旦那は若い頃から、童心を心から楽しんでいるようでもあった。
「好きなんですよ、ロカビリー・・・だから仕方ないんですよ、ナッシュビルまで行きます。」なんてね。
それが15年前の事。今もぜんぜん変わりません。

自分の事、人間の事、そしてちょっと磯釣りの事、なんでもとても素直。
そして本当の楽しみを、生きる楽しさを、愚直に追い求めていく二人なんです。

120414南伊豆磯釣り02

自然界と共に生きる「磯哲学に乾杯」する肴は。。。お預けだったけれど
毎日がストレスレスではないはず。
いやストレスなんてものを、意識してはいけないもので、
太古から、日常の生活の中に絶えずあるものと捉えたい。

120414東海ホテル01

感性も感覚も いつまでも子供の頃のように新鮮で、
今時のグルメ風でありながら野性的、
若い時にいろんな旅行や自然体験をしてきているからこそ、
貪欲で優しく、今を生きることに全力少年の大人なのだ。

(この日の私達の釣果はこちらへ)
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【発展という言葉の怪物】
2012/04/11(Wed)
120410yok01

発展という言葉って、プラス思考でいわゆる「良いこと」かと。
この画像も、よく使う横浜の首都高速だが。。。(今は高くなった900円)
元々田舎人間の私にとって、羨望の目で無意識に見ていたのかもしれない。

だが。。。
「オールウェイズ三丁目の夕日」や「カーネーション」そして「梅ちゃん先生」など
とても惹かれるはなぜ?

単に私世代の問題か。。。いやそればかりではなさそうだ。

東北から上京して住込み就職した六子は、そこが大きな自動車会社とは違って、
町の小さな自動車修理工場に落胆している。
そしてひとり2階で涙していたとき。。。修理屋の息子一平が無遠慮に、

「ねぇ いいこと教えたあげようか ねぇ いいこと教えて欲しい?」と一平。
「どうしたの? 泣いてるの?」と一平は六子に、一瞬心配げに声をかけるものの、
すぐさまその教えたいことがとても言いたくて、一平にも大きな夢があったのだろう。。。

「うちに、テレビが くる」と耳元でささやく一平
するとめそめそしていた六子の表情も、驚きと期待感溢れる表情に一変する。

カーネーションでの印象深い光景は、
店の前の路上で、女姉妹が取っ組み合いの喧嘩をする場面。
思春期の二人なのだが、でも。。。「やる時はやるんや、感情むき出しにして、身体でぶつけたる」
そんな場面を見ていて 
「あぁ こんな風に、損得考えず、体裁気にせず、身体でぶつかること、よくあったよなぁ」。。と思った。

そして今日、梅ちゃん先生をうわの空で聞き流していると、
「あの頃は夢があった。みんな貧乏の中でも活き活きとしていた」
「しかし今は。。。あまりにも物が溢れ、人々に野生もなくなっている」
ナレーションはこんな言葉ではなかったが、
私の中でこの言葉に置き換えられるようなインパクトのある言葉を、うわの空で聞いていた。
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【磯を哲学する】
2012/04/09(Mon)
120408mtn01

磯野 哲哉さんの略ではなく、「磯釣り哲学」
そんな釣りごときに、哲学はあるか?

あるかないかは、私の乏しい直感で感じたままに考えてみたい。
釣りであれ何であれ、瞬間的な気づきが、人の元気の元となるよう、貪欲に拾ってみたい。

ところで、どや顔って、なに?
写真の被写体となることは、「自分以外に見せたい」と言葉には出さずとも意識はするのだろうか。
全てがそうではないはずだよね。
しかしそれを一様に「どや顔」とは。。。あまりにも強引すぎるのでは?

ただ↑の画像の場合、決して自分一人の思い出や記録として被写体になっていないことは、
確かなようだ。
携帯のカメラまで出してきたので、撮らせていただきました。
「すっごい嬉しい」のひとこと、だが、
自己の喜びとともに、次の瞬間いろんな人の顔が浮かんだようだ。

昨日(4/8)の41センチのクロダイです。しかし・・・またいでいるのは、新調のタモの柄。

120408mtn02

「なんや、ボラやんかぁ」とは言わないで。

彼にとって、やり取りしている間は50オーバーの大型クロダイであったのだ。
海面に出てくるまでは、ハラハラドキドキの今まで揚げたことのない大型クロダイなのだ。

いいねぇ、魚とやり取りをしている最中の期待感が、自分をまた磯釣りにはまらせる。

「カメラに撮って、どないするん?」と私。
「見合い写真にでも。。。」と彼。
「でも、ボラやん」と私。
「スズキに・・・見えないかなぁ」と彼。

ふむふむ、嘘も方便・・・
それよりも、「海でこんな魚と力いっぱい格闘している」という実感が、
彼にとっての満足であり自信なのかもね。

ボラであれ鯛であれ人間であれ、生き物は生き物として、
互いの力やふれあいを、生身の身体で体感している時間が、
振り返れば、夢中で生きている瞬間かもしれない。

さしずめこのブログは、自己や人や生き物や自然の、記録への欲求なんだと。

(この日の私達の釣果はこちらへ)
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