【ほんのふたつで死んでゆく】
2010/01/17(Sun)
060423TG15

悲しくも残酷な唄 と理解されているかもしれないが、
。。。それは35年ほど前の小椋佳さんの楽曲。

そのレコードアルバム「ほんのふたつで死んでゆく」の中に

  ひとり昼寝から起きた幼子が、家の前の公園をベランダから見て
  誰もいない家より、自分の大好きな公園へ近づきたくて、4階からそこを目指して。。。

そんな一文が載っていた。

  自分の大好きな公園が、みるみるうちに幼子の目に近づいて映っていたはず。。。
  落ちるという恐怖も、死んでしまうかもという思いもなく、ただ公園へ行きたくて。。。
  その子にとっては。。。その時は最高の瞬間だったかもしれない。

小椋佳さんは、そんな言葉をアルバムに書き記していたことを、今もよく覚えている。
もし歌をメロディーの中で聴いていたとしたら、その歌の意味はわからなかったかもしれない。

今かつてのいろんな歌を聴き返したり読み返していると、新たな出会いもあったりする。
私と同じ学年の荒井由実さんの「ひこうき雲」もそのひとつ。
  
  白い坂道が空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず誰一人
  あの子は昇っていく 何もおそれない
  そして舞い上がる
  空に憧れて 空を駆けていく
  あの子の命は ひこうき雲

  高いあの窓で あの子は死ぬ前も
  空を見ていたの 今はわからない
  ほかの人にはわからない 
  あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
  けれど しあわせ
  空に憧れて 空を駆けていく

ほかの人にはわからない。。。
同じ時代を生きる人間にとって、個の喜びや憧れ、悔しさや悲しみが、
ほかの人にはわからないのではなく
少しずつでも、分かり合える関係でいたいと思う。。。このごろ
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コメント
-  -
はつ投稿です。
なるほど!
あの時代の歌詞をあらためて読むと、奥が深いですね。
そういえば若いころは、そんな言葉にずいぶん励まされました。
その時代の歌を聞くと、その時代に戻りますよね。
2010/01/18 21:13  | URL | とらひげ #-[ 編集]
- ようこそ^^ -
あのオープンで陽気なとらひげさんが
いつ来ていただけるのか。。。と思ってました^^

ひこうき雲のレコードもあるのですが、
改めて読み返してみると
その若き当時は、すごい綺麗ごとで、あったように思います。
「死んでしまったら仕方がない、でもあの子の命が、憧れの空のひこうき雲になれたのなら。。。」と

でもこの歳になって
「生きるって 死ぬための悪あがき?」と思うようになると。。。

自分の生きた過去が、あまりにも陳腐に見えてくるのですよ^^;
2010/01/18 22:15  | URL | okoze #5AfE.fR2[ 編集]
- そうか。。。 -
私なんか、結構いい加減なので、
自分の過去を、かなり曲げて
美化して、自分の中におさめてしまっているかなあ。

死というものが、希望であり、夢であり、
すばらしいことであった時期がおわり、

今は、ゆっくりと、あせらず生きていくこと。
自分だけのことを考えると、
もういつ死んでもいいかなあと思います。
ただ、まだ、元気な自分の親、子供、伴侶のことを
考えると、浮世をじたばたせねば。。。。
と思います。

そして、そう思える私は、とても幸せなのだと思います。
2010/01/21 08:21  | URL | riemama #OCj5OY0E[ 編集]
- じたばた -
いいですねぇ。。ジタバタ・浮世^^

若い頃は死も綺麗ごとだったのかもしれないね
「まだ死なないだろう」と

今は。。。
いろんな身近な人の死を体感してきて
自分も、明日死んでもでもおかしくはない。。。と

「すべてのものは関わり合っていて、独立自存しているものではない。すべて関わり合いの中で生じたり滅したりしていく。そこに実体的なものはない」

生きていく自分も いとしきドタバタ・ジタバタ
そんな浮世のはかなさなんかもね。
2010/01/21 12:22  | URL | okoze #5AfE.fR2[ 編集]
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