【暮れのメジナ】

111227南伊豆地磯釣果メジナ01

人間にとっては年の暮れ。一年の締めくくりなのだが、それもひとつの区切りという習わし。

魚にとっては、日々連続した毎日なのだろう。まだ寒くなる海の中を身体で感じて、今は捕食と魚体づくりか。

そして春の産卵に向けて、本能的に栄養を蓄える時期。

なにも変わらない魚の営みは、ひたすらけなげで理にかなって、少し普遍的である気もする。


ものの道理とはなんだ。。。そんな今年一年だったようにも感じる。


こんな魚(メジナ)の恩恵にあずかれる私は幸せ者だ。

魚が生きていてこそ人の心も身体も活かされる。

もし「もっと大きな魚が釣りたい、欲しい」という理想があるなら、それは無駄な煩悩に成り得る。

それよりも、この魚に、この一枚に出逢えた実感さえあれば、

そんなけなげな生物との遭遇に感謝できれば。。。おかげさまで、美味しくいただきますと。

けっして数値や大きさや珍しさではないはず。

ものの道理とは、きっと誰の意志も入っていない、偶然のご縁だと感じるのだ。


磯釣りは、己の想像力と生き物への畏敬の念をもって自然の中で身体的自己体験を積み重ねる瞬間だ。


たかだか長くて数十年の中で一喜一憂する人間の欲望とするか、

それとも海とて魚とて、人と同様の、いやそれ以上の恩恵として、与えてくれる恵みと考えるか。。。

全ては変化生滅しながらそれぞれが過去の体験の中で自動的に規定されているらしい。もしそうなら

人とて魚とてなんら違いはないだろう。いや、人間が作る悩み多き世間ほど、

己の過去に左右されオートマチックに拘って生きているのかもしれない。


人は世間体の中で、もがき苦しみ悩みも多いが、魚にそんな悩みはないだろう。


今年もいろんな方と出会えたことに感謝。。。そしていろんな生き物や大自然にお恵みをいただき

様々な刺激的な体験に出会えたことに、「おかげさまで」と伝えたい一年だった。


「過去を悔んでも戻らない、未来を望んでも不確実、ならば今を精いっぱい生きるしかない」

そんな東北の若いお父さんの声が、今も耳に残っている。

(この日の「私達の釣果」はこちらへ)

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しなびたオコゼ

大阪の海沿いで1954/2月生まれ
3人兄弟の3男坊
25歳で単身横浜へ
幼少期この海で多くのオコゼがいた
だがもうこの海岸線は消された
砂地の浅瀬が消えた事で
生態系も変わったようだ
はて、この凡夫は
変わったのか、そのままなのか
煩悩の塊そのままで。。。

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