【おっさん】
2012/03/18(Sun)
120318おっさん01

私のようなオッサンではなく 「おっさん」
「おっさん」とは 私の感覚では 「自分ちの寺のお坊さん」を意味する。
また「ぼんさん」や「ぼうず」とは格段に違う、丁寧で尊敬をも意味する代名詞。そんな風に捉えている。

お父さん・お母さん・お兄さん全て「お」がついているが、お妹さん・お弟さんとは決して言わない。
お弟子さんはいうね。。。目上の方々への言葉には、たいてい「お」がついている

では「おっさん」とは、、、私の中では「すべてに心を開いた苦悩や迷いに吹っ切れた尊い人」
そんなすべてを「お」という中に感じているのかもしれない。

ミシマ社が刊行している「ボクは坊さん」の中に、「おっさん」が出てくる。
もちろん筆者は四国は愛媛の寺の住職だ。

寺とは、仏教とは、教義とは・・・・
この本はそんな住職の成り立ちから寺のいろんな仕事?ぶり、そしてその日常の行いのあちこちに
筆者の一人称がちりばめられ、それらが仏教(密教)の言葉と共に自分なりの発想の中で書かれていた。

「高野山大学時代」「24歳住職」「お盆」「葬式」その他いろいろ場面で、筆者なりの一人称で
自分の感性や考え、ひらめきや直感、それらを仏教(密教)の教えを自分なりに感じて理解して、
そして応用して味わって、実感している。

葬式仏教といわれて久しいが、そんな中にも「こんなおっさんが 身近にいたら 楽しいだろうな」
そう感じたのも確かだ。
教義や難解な言葉を振り回して、「今までのしきたりや習俗に従うがよろしい」とただのたまうより、
時代は変わり、また人々の社会も変化する中、空海の教えを一本の柱にして現実を見て、
身の回りの日常の中に、真実を見出しているように思った。

現実はひとつ、理想は人の数ほど・・・そんな世俗もまた現実ならば、自分の仏教を考え、
また自分の生き死を自分なりに味わってみたい。

「仏教って カッコええやん」そんな著者の言葉が、印象的でもあった。

120318石堂書店03

出版社や本の紹介をラジオで聞いて、「なんか惹かれる、性に合う」「面白そうだけど」どこで買うか、、、、
横浜駅まで行けば有隣堂で簡単に手に入る。
だが車では駐車料がかかるし、大きな店舗で右から左へ金を払って買うのもつまらない。。。
で、実物の本を見たくて通勤途中のTSUTAYAへいきなり行ったが、ミシマ社すらなかった。

そんな中で隣の駅の妙蓮寺の一書店が取り扱っていることを発見。
少し期待を込めて。。。それは「おたくの書店に なぜミシマ社の本があるの?」という疑問を明かす、
そんな期待感があったため。

上の写真は今日撮らせていただいた石堂書店の店長(本屋の息子)の画像。
彼いわく「ミシマ社の本って とても表紙も珍しい作りで 触っても温かみがあるんです」

私にとっては「表紙より中身やろ」とは思うのだが、私がなぜ大手量販店の本屋ではなく、
小さな書店へ出向いたかという事と、全く同じ理由であったことは確かだ。

それは「ミシマ社の本を置いてますか?」と聞いて、
「あります。。。これもそれも、そしてこんな本も。。。」と店長
「ミシマ社になにか興味があるのですね」と店長。私は「店長も興味ありあり?」と感じた。
にこやかに私の前で説明をしてくれた店長に出会えたことが、「ここに来てよかった」なのです。

120318石堂書店02

上の画像の下の段の中三冊。
これが石堂書店の中で目についたミシマ社の本。
写真ではなく、かといって色も派手でなく、そして手作り感溢れ、手に取って本の実感を味わえる本。

デジタルの時代にこんなリアルな質感や実感や感覚を味わわせてくれる書籍。
そしてその中身といえば、空想的理論や研究ではなく、現実いや日常の中のリアリティを大切にして、
その刹那の気づきを改めて実感させてくれる。
それは自分の中の現実の物語の中を生きているという思いにさせてくれるのだ。

「ボクは坊さん」白川蜜成(しらかわ みっせい) 
その本の中に一番上写真の 黄色くて大きな手書きのしおり が入っていた。
パウチにしてあるが、私もしおりとして使っている。
そこには、その文字も絵も、しおりを作った出版社の人の、楽しさや感情も感じられるのだ。
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