【磯を哲学する】

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磯野 哲哉さんの略ではなく、「磯釣り哲学」
そんな釣りごときに、哲学はあるか?

あるかないかは、私の乏しい直感で感じたままに考えてみたい。
釣りであれ何であれ、瞬間的な気づきが、人の元気の元となるよう、貪欲に拾ってみたい。

ところで、どや顔って、なに?
写真の被写体となることは、「自分以外に見せたい」と言葉には出さずとも意識はするのだろうか。
全てがそうではないはずだよね。
しかしそれを一様に「どや顔」とは。。。あまりにも強引すぎるのでは?

ただ↑の画像の場合、決して自分一人の思い出や記録として被写体になっていないことは、
確かなようだ。
携帯のカメラまで出してきたので、撮らせていただきました。
「すっごい嬉しい」のひとこと、だが、
自己の喜びとともに、次の瞬間いろんな人の顔が浮かんだようだ。

昨日(4/8)の41センチのクロダイです。しかし・・・またいでいるのは、新調のタモの柄。

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「なんや、ボラやんかぁ」とは言わないで。

彼にとって、やり取りしている間は50オーバーの大型クロダイであったのだ。
海面に出てくるまでは、ハラハラドキドキの今まで揚げたことのない大型クロダイなのだ。

いいねぇ、魚とやり取りをしている最中の期待感が、自分をまた磯釣りにはまらせる。

「カメラに撮って、どないするん?」と私。
「見合い写真にでも。。。」と彼。
「でも、ボラやん」と私。
「スズキに・・・見えないかなぁ」と彼。

ふむふむ、嘘も方便・・・
それよりも、「海でこんな魚と力いっぱい格闘している」という実感が、
彼にとっての満足であり自信なのかもね。

ボラであれ鯛であれ人間であれ、生き物は生き物として、
互いの力やふれあいを、生身の身体で体感している時間が、
振り返れば、夢中で生きている瞬間かもしれない。

さしずめこのブログは、自己や人や生き物や自然の、記録への欲求なんだと。

(この日の私達の釣果はこちらへ)

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しなびたオコゼ

大阪の海沿いで1954/2月生まれ
3人兄弟の3男坊
25歳で単身横浜へ
幼少期この海で多くのオコゼがいた
だがもうこの海岸線は消された
砂地の浅瀬が消えた事で
生態系も変わったようだ
はて、この凡夫は
変わったのか、そのままなのか
煩悩の塊そのままで。。。

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