ガンダーラってどこ?
2006/05/15(Mon)
それはここだよ、と言っても、知りたいのはなぜこの地に仏像美術などの仏教美術文化が生まれたのか。
歴史の勉強から始まるのだが、出来るだけ解りやすく記録してみたい。
そんな中で、現パキスタンは元はインドであったことも付け加えて。

大よそのガンダーラ地域 赤い部分

現パキスタン北西部から現アフガニスタン東部の一部にかけて、東西幅としては100km以上はあるだろうか。
ガンダーラという都市もなければ、あくまでも地域名称である。
それは東はタキシラ(Taxila)から西は現アフガニスタンのカブール(Kabul)までを言うらしい。

ガンダーラの歴史・・・・
この地域が欧州と現インドとの交易路として、様々な人も物資もそして文化ももたらされた地域でもあるようだ。
それは紀元前8世紀-紀元前4世紀のペルシャ帝国(現イラン)以来の繋がりかもしれない。
そのペルシャ帝国を征服したのはギリシャ マケドニア王国のアレキサンダー大王(紀元前4世紀)であるが、現インドの当時マウリヤ王朝(紀元前4世紀から紀元前2世紀)との国境あたりがタキシラであったと言われる。
それは中東・ヨーロッパと南アジア現インドの接点でもあり、重要なルート上の「点」でもあったみたい。
そして北へ上れば、中央アジアや中国とのルートともなり、それはあのシルクロードの一部と思って良いらしい。
マウリヤ朝領域図(BC.3~BC.2)


ブトカラ遺跡(BUTKARA) スワットにある紀元前からの仏塔・寺院


ガンダーラの仏教美術の発祥・・・・
紀元前4世紀のアレキサンダー王の遠征が、ギリシャとインド互いの文明の接点でもあったことがとても大きな要因となる。
ただ仏教の発祥地と言えば、インド北東部で、あのゴータマ シッタールダ(紀元前6世紀)から始まるのだが、ここ現パキスタン北西部のガンダーラが仏教発祥の地ではない。
ではその政治的背景や人々の心は?そしてアレキサンダー王の東征と共に入って来たギリシャの人々にとって、異教である仏教はどのように目に映ったのか?また当時仏教は偶像崇拝を禁止していたにもかかわらず?
まっそれはまたのちほどのことにして・・・・

タキシラ(タクシーラ) ジョーリアンストゥーパ(JAULIAN)(ユネスコ世界遺産) 奉献塔の彫刻 石膏で作られている

そしてインドのマウリア王朝(紀元前4世紀から紀元前2世紀)の3代目アショーカ王(紀元前3世紀)の存在が大きいようだ。彼は仏教によって自分自身をも改心させたと言われる人でもあり、スワット(スワート)でのブトカラ仏塔(ストゥーパ)の創建を初め磨崖碑などを作り、仏教の布教に努め、こよなく仏教を愛した人であったらしい。
アレキサンダー王の東征による彼らのギリシャ彫刻技法が、マウリヤ王朝以来、ガンダーラの仏像彫刻に影響を及ぼしているのは明らかである。
タキシラ博物館(TAXIRA Museam)所蔵 仏陀彫刻

そしてインド西隣のギリシャ系のバクトリア王国(紀元前3世紀から2世紀)のインド北西部進出により、ギリシャとインドの融合の中でクシャーナ朝(1世紀~2世紀中頃)カニシカ王(紀元後2世紀頃)は、現在のペシャワール(旧プルシャプラ)を都に定め、仏教を保護した王として知られる。
ガンダーラはそんな時代に優美な仏像美術を育んだと言えるようである。
タキシラ ジュリアンのストゥーパ(JAULIAN)(ユネスコ世界遺産) 僧院

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★★ ガンダーラ ウィーク スケジュール ★★
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コメント
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ホントだ
鼻梁がくっきりした仏像だねぇ
我々が見慣れてるのは
鼻が広がってるもん
2006/05/19 18:29  | URL | 博多の貴公子 #-[ 編集]
- 青い目と繋がるところ -
このパキスタンでは、あの北西部辺境地区(N.W.F.P.)辺りでも、青い目の子孫がいました。
肌の色も白くて・・・
2006/05/20 12:47  | URL | しなびたオコゼ #/HbjgtQ.[ 編集]
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